頭の良さってなんだろう
ということを仕事が煮詰まったときに考えました。
私は頭の良さ、つまり知性には三種類あると思うわけです。
ということを仕事が煮詰まったときに考えました。
私は頭の良さ、つまり知性には三種類あると思うわけです。
「格差社会は悪くない。悪いのは、あなただ!」 (ニュースの現場で考えることより)
という記事がありました。
内容を要約すると、「反格差社会」とあちこちで騒がれているが(例:ワーキングプアなど)
実際のトコロ、もう多くの人は格差を受け入れてしまっているんじゃないか、
という話でした。格差を再分配する仕組みを運用する政府に、その上前をはねられる
ぐらいなら、別に格差があっても構わないよ、という国民感情があるわけだと。
民営化以前の郵政もそうだし、例えば公共セクターにしたって
弱者の為の仕組みに見えて、実は公務員を「特権階級」にこしらえるための
仕組みにしか見えない、とそう思っている国民は多いのではないかと言う話です。
他にも、「弱者面する農家」に再分配する仕組みも、なんか気持ち悪いというわけです。
以上が、引用元からの自分なりの要約なわけですが、
まあ私も確かにそう思うわけです。
この前読んだビックコミックスピリッツにこんな事が書いてありました。
日本はここ数年、「泣きたい症候群」。泣けりゃ何でもOKという時代。
(ホイチョイ・プロダクションズより)
たしかに言われてみれば、自分も泣きたい症候群であるかもしれません。
昔よりも随分涙腺が脆くなったし、そして泣くと何か楽になったような感覚と
安心感があって、気持ちいい感覚があります。
あの感覚は何度味わっても結構飽きない物で。
じゃあ、なんでそんな気持ちよさがあるのか。たぶんこんなとこじゃないかと。
・単純に、泣くことによって感情とストレスの発散をする。
・色々我慢しているうちになかなか泣きたくても泣けなくなってしまっている。
・毎日感情の動きが無くなる日々の中、自分がまだ泣ける事に安心する。
あと、泣くことによってちょっと自己陶酔出来る部分もあるのかもしれません。
ちょっとした非日常、ドラマ的な中に自分をおくことによる陶酔というか。
ともあれ、「泣きたい症候群」はまだ続きそうな気がする私です。
さて、医者で鼻の中のかさぶたを全部はがされた西岡です。
「痛かったらいってくださいねーはい痛いですよーベリッ」
って結局痛いのかよ!大さじ一杯分ぐらいのかさぶたをはがされました。
今でも少し鼻の中がズキズキします。
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まあ、そんな話とは関係ないんですが、先日帰り道ちょっとしたことがありました。
帰宅途中コンビニをふらついていたら、いきなり右目の視界が真っ白になりました。
お金はそれ単体では意味を成さないと常々思います。
お金を何らかの価値に変換することで、初めてお金は意味を成すものです。
つまり、お金は、それを上手くよりよい価値に変換する技術があってこそ
間接的によりよい価値を持つことになるということになります。
では、その技術を手に入れるためには、まずなにをすべきなのでしょうか。
それは、自分にとっての「よりよい価値」とは何かについて定義することです。
自分にとって「本当に欲しい物」がいったいなんであるのかが
明確であるなら、お金→価値への変換効率が上昇します。
しかし、「本当に」欲しい物、好きな物、ということを
頭でぐるぐる考え続けると、結局なにも欲しくないんじゃないかとか
自分はなにも好きな物などないんじゃないか、とか思うこともあるかと
思います。何故なら、そこに感覚が伴っていないからです。
ならば、感覚を伴わせればよいわけで、つまりは
色々なことをやってみて、色々な様にお金を使ってみて
どんなときに、「よい価値を得た」と思えたかどうか実践してみるしかありません。
つまり、様々なお金の使い方をしてみないことには、「技術」は身に付かない。
結局のところ、何がいいたいのかといえば、
度が過ぎない程度に、いつもとは違うお金の使い方ということを
試してみることで、お金のよりよい使い方が身に付くのではないか。
そんな仮説をふと思うのであります。
若い社会人というのは時に、忙しいことイコール有能なこと、と思いがちなもの。(酒井順子「入れたり出したり」より)今読んでいる本にこのような文があり、妙に納得してしまいました。
というのも、今年七月ごろの自分の経験を思い出したからであります。
妙に暇になり、それがずっと続いているうちに、気分が沈んできた経緯があったからです。
昨年度一緒にやっていた同期が忙しくしているのを聞くにつけ、更に気分がへこみ
雨の続く毎日にため息をついていた記憶があります。
なんというか、「忙しくない」ということは、
自分が世の中から放っておかれている、必要とされていない、といった感覚が
どこかにあったのかと思います。仕事をバリバリやっている男が、
古今東西、男の理想の一つであるのも、「必要とされたい」という思いがあるからでしょう。
でも本当は、別に「忙しい≠有能」であって、本当なら有能なほど
うまく立ち回って忙しくなどしていないはずなのです。余裕を持っているはずなのです。
そして余裕を持っていられるということは、自信があるということで
自信があるということは、やはり有能であり、その裏づけがあるということなのでしょう。
当然私のような新人には、そんな有能さの裏づけなどあるわけはなく
ということは、やはりそれを得られるまではバリバリやるのがいいのでしょう。
事故で脳に損傷を負い、情動機能を失った患者がいた。彼は以前と変わらず知能指数も高く、記憶力、学習、計算、言語能力にも優れていたが、感情だけが欠落してしまったのである。問題はまず、診察日が決まらないということだったらしい。医師から診察の候補日を二つ提案されると、彼はそれぞれの日に対して賛成と反対の理由を調べ上げた。さらには、どちらかを選択したときに考えうる結果をすべて書き出し続けたというのである。 確かに緻密に考えれば、たとえ現時点でその日の予定が何もなくても、将来不測の事態が起こる可能性は常にあるので、「都合のよい日」はないことになる。まさに論理の泥沼。「会いたい」などの感情で飛び越えなければ、日程は永遠に決まらないのである。私たちは論理と感情を分けて考えがちだが、感情を伴わない論理は単なる堂々巡りなのだ。 (「結論はまた来週」著:高橋秀実 第六十四回より R25 No.103掲載)
前から思っていた、人間は真に最終的なところでは感情で動くという
仮説が非常に分かりやすい形で書かれていて興味深い文章でした。
いかに合理的な判断であったとしても、やる気が出なければ、人間は行動に移れません。
例え「私は合理的判断でしか動かない」という人がいたとしても
その人は「合理的判断が好ましい」という感情で動いているに過ぎないのです。
いくら、人間は何でこう合理的になれないんだろう、とつぶやいた所で
結局のところ人間の本質が感情である以上、そのつぶやきは無意味というものです。
合理的な考え方だって、より長期的な感情における幸福を求めた結果生まれたもので
だからといって、合理的≠幸せ、であり、あくまで合理は幸せの道具の一つに過ぎません。
最後に、今日読んだイブニングにあった言葉を紹介したいと思います。
食べなきゃ体が死ぬように、楽しみがなければ心が死ぬからだ。
(「ZOO KEEPER」著:青木幸子 第10話より)
そして心が死ねば人間は何もできません。だから皆さん心だけはどうか殺さないように。
自分の心の声だけは無視しきってはいけません。
昨日、亀田興毅選手がフアン・ランダエタ選手に判定勝ちして
世界チャンピオンになった件にあちこちで疑惑があがっているようです。
要するに、八百長ではないかといわれています。
Yahoo投票では、ランダエタの勝利を支持する声が94%となっています
亀田興毅:立ち上がりにダウン 判定に疑問の声も
ガッツ石松さんのコメントは以下の通り
「亀田兄弟は人気があるかもしれないけど、この試合で勝てるのなら、ボクシング界は何をやっているのかと思われる。日本人は立っていれば、チャンピオンになれるの? 全世界のボクシング関係者に見せて、判定してもらえばいい」
「日本のボクシングはタレント養成所ではない。これがまかり通るなら、僕はボクシング関係の肩書は何もいらない」
亀田興毅 中継のTBSに電話殺到という状態にもなっており大荒れです。
余談ですが、今年五月の時点で今回の状況をほぼ完璧に予測していた人がいました
亀田、今夏世界王者へ!(もちろん八百長)
どうも雨が続くと憂鬱になりますね。太陽の光がたりないんでしょうか。
あと湿度が高くて、皮膚呼吸がしにくくて無意識に苦しいのかもしれません。
そういうときは、例えばゆずの歌などは聴いていてしっくりこなくて
東京事変の曲などがどうも自分に馴染む気がします。
何故人は悲しかったり、暗かったりする歌を聴きたくなるのかといえば
そんな歌を聴くことで、自分の悲しみや辛さに共感してもらっているような
錯覚を起こすからなのではないかと思います。
ああ、こういう暗い気分になってしまっているのは自分だけじゃないんだ、と。
雨雲が排気ガスのかたまりに見える東京の朝。
18歳以上はお断り--子ども専用SNS「トイスタ」がベータサービスを開始
個人的には、ハンゲームや、カフェスタなどのコミュニティサイトにおいて
小学生~中学生など低年齢層のマナーの無さに辟易しているので
まともにそんなSNSが成立するのか微妙に不安が残ります。
長崎小学生殺害事件も結局、カフェスタにおけるコミュニケーションの齟齬が原因らしいですし。
現在のmixiが成功している原因の一つに、18歳未満禁止であることが
挙げられると私は思っています。おかげで変に荒れること無く平穏に運用されています。
文字によるコミュニケーションは、概して非常に難しいです。
対面するコミュニケーション以上に、相手に対する配慮なくしては成立しないものです。
個人的には、小学生~中学生の段階においては、不安定な自分のことで精一杯で
周りにまで気を配る余裕はあまりないと思っています。
正直、自分に子供が出来たら、少なくとも小学生の間はネットを見せたくありません。
まわりにも、本人にも、それぞれ不愉快な思いをさせる気がしますから。
気づいたらITエンジニアになっていた人間のちょっとした思索まとめです。
少し長文なので、めんどくさくてもいい人は以下をどうぞ。
(まあ、散々いわれ続けてきたことを、改めて自分が書いてみただけですが)
「ネット版わらしべ長者」の素敵なエンディングと貨幣経済の「外側」
カナダのKyle MacDonaldという青年ブロガーが、手元にあったごく普通の赤いペーパークリップを振り出しに物々交換を繰り返し、最終的に一件の家を手に入れようとしている・・・。この試みについては、以前CNET Japanでもお伝えしていた通りですが、このネット版わらしべ長者ともいえる試みが、ブログ開始から満1年目にあたる米国時間7月12日についに目標に到達しました。
ちなみに、ペーパークリップから家を手に入れた経緯は以下の通り。
ペーパークリップ >> 魚の形をしたペン >> ドアノブ >> バーベキュー用コンロ >> 小型発電機 >> ビール(Budweiser)のネオンサイン >> スノーモービル >> Yahkという土地への旅行 >> 配達用バン(トラック) >> 音楽レコーディング契約 >> フェニックス(アリゾナ州)にあるアパートの賃貸契約 >> 有名ロッカー、Alice Cooperのコンサートへの登場 >> ロックバンド「KISS」にあやかったスノーグローブ(水の中で白粉が舞う置物) >> 映画出演権 >> 家(カナダはサスカチュワン州キプリングという町にある2階建ての一軒家)
これをみて、「俺もやろう!」と思っちゃいがちですが、
おそらくこの成功は、このMacDonaldさんがブログで大掛かりに
「わらしべ長者への道」といった形で、事細かに経緯を発表し
そして交換した人たちも、「この試みに一枚噛みたい」とおもったからこそでしょう。
だとしても、ファンタジーである「わらしべ長者」が現実になった驚きは大きいです。
<ジダン>母や姉への侮辱が原因 テレビで説明
ジダン「後悔はしていない」
W杯の決勝、ジダン選手がマテラッツィ選手を頭突きし退場させられた件について
世界が揺れています。FIFAが調査にのりだしたり、FIFA会長がジダンのMVP剥奪を
示唆するなど大騒ぎです。
個人的には、この記事「ジダン頭突きの真相は母入院が関係か」を読んで
大分ジダンに同情しています。
決勝の朝、母親が緊急入院して、そんな状況で母親を「売春婦」だの言われたすれば
少なくとも怒るべきことだと言えます。黙っている訳には行かないでしょう。
ましてや、サッカーのW杯の決勝戦中にいうべきことではなく
同じサッカー選手としても、とても許すべき行為ではない、と感じたのでしょう。
相手への言葉による過ぎた侮辱は、退場になります。
「何を言ったか覚えていない」マテラッツィは、さて、今後罰せられるのでしょうか。
今週のR25の石田衣良のエッセイで、W杯についてこんな言葉がありました。
ぼくはこの結果は、順当なものだったと思っている。大体戦前の予想が理由もない勝利の可能性に傾きすぎていた。どのチャンネルでも、予選突破など当然だという楽観論ばかり目立ったのである。
(「空は、今日も、青いか?」第三十五回 日本代表は日本人より)
これは自分も感じるところです。なぜそういうことになったのでしょうか。
突然ですが、私は夏が余り好きではありません。
何故なら、夏はとても疲れるからです。
何故疲れるかといえば、「熱」というエネルギーに心身が振り回されるからです。
「熱」が有るということは、原子振動が激しくなると言うことです。
空気に含まれる原子が激しく振動していて、その中を歩いているわけです。
そして自分の体の原子も激しく振動しているということです。
私はマイペースでいたい人間なので、振り回されるのはいやです。
だから余り夏はすきでなく、秋や冬が好きです。
しかし、一方で夏が好きだという人がいます。
そんな人は、大抵元気な人です。そしてノリのいい人が多いです。
きっと、そう言う人たちは、この原子振動の激しさに振り回されず
逆にサーフィンのように乗りこなしてしまっているのだと思います。
俺もああなれればいいなあ、とよく思うのですが
やはりそれは性に合わないのでやっぱり夏は嫌いです。
夏はどうにも、やっぱりうるさい。
<リストラ反動>人手不足で辞められず 組合に相談増える - 毎日新聞
「辞めたいが辞めさせてもらえない」といった従業員からの問い合わせが
労働組合などの相談窓口に増えている。会社から「代わりを探してから辞めろ」と
言われたり、「辞めたら損害賠償を請求する」などと脅された深刻なケースも多い。
景気回復による人手不足やリストラで仕事が特定の人に集中している
最近の労働環境が背景にあるようだ。【佐藤賢二郎、東海林智】
トラックバック先の記事によると、
WEBは勤務中に利用されるメディアとしては一位
家庭で利用されるメディアとしては二位という結果が
アメリカの調査で出たそうです。
まあでも、今これを日本でやっても似た結果がでそうです。
勤務中最も利用するメディアは、どうしてもWebが多くなってくるでしょう。
なんせ調べ物にはもっともうってつけな、Pull型のメディアなわけですから。
家庭で利用されるメディア、としては三位ぐらいになりそうですが。
改めてこういう結果をみると、ITの浸透度を再認識します。
と、いう名前のNHK番組をみながら、ブログを更新してみます。
ブログという名前も、完全に市民権を得た感があります。
一億総表現社会も、そんなに遠くないのかも。
日本におけるサイレントマジョリティが、ついにモノを言うようになる
ということなんでしょうかね。
だとすれば、江戸時代から続く日本文化の大きな転換点になるのかも。
なぜなら、伝統的な日本人のコミュニケーションの美徳は
語らぬ/わからせぬ/いたわる/ひかえる/修める/ささやかな/流れる/まかせる
といわれているからです。(『日本人の表現心理』著:芳賀綏 より)
そしてこの文化は、少なくとも江戸時代から続くものらしいです。
300年以上続く、日本人の文化がどうなっていくのか、興味深いです。
自分がいくらどうでもいいと思うことでも
その場に居る誰かが不愉快な思いをするかもしれない。
そう考え行動することが、マナーという精神なのではないかと思う。
相手の言葉を、論理だけで聞いてはいけない
常に、情熱と感覚と論理と感情にバラして理解することが必要だ
そしてそれは
自分の内なる声に対しても必要なことだ
「メリットのある人間になりたい」
そう思うことがあります。