05.朝は夜明けを共にして
「いい身分だなぁ、クォルファ?」
楽しい空気をぶち壊しにしたのは、ダランのそんな一声だった。膝の上のクォルファの顔が一瞬にして凍ったのを見てしまい、シェドはほとんど条件反射のみでむっとしたように闖入者を睨む。
「なんだ、シェド=ラクシェス?先輩を睨むなんて、躾がなってないぞ、クォルファ」
「………何の、用だ?」
ダランの言葉を無視するような形で、クォルファは問いかける。ダランの唇が、面白げに吊り上がる。
「用、とは?用がなければ、会いに来ちゃ駄目なのか?愛しい、愛しい、こん───」
「用がなければ、さっさと立ち去ってもらおうか?」
ダランの言葉を遮って、クォルファがぴしゃりと言い放った。シェドの膝から上半身を起こし、ぴしっと背筋を伸ばしてダランを見据える。それに降参、というように肩の上で両手を上げたダランは、まだ面白げに笑っている。
「はいはい、お姫様は短気だな?」
ダランの一言に、シェドは目を見開いた。そのことに、背を向けているクォルファは気づかない。正面に立つダランだけが、そのことに気づいて、ほんの少し、笑みを深くする。
(この人、クォルファが女性だって、知ってる………)
何故、どうして?シェドの胸中で、疑問符と、不安とが渦を巻いた。そんな表情を横目で満足そうに見遣ったダランが、ふと、真剣な表情を浮かべる。
「………いいのか?『今』行かないと、後悔するぞ?」
ダランの言葉に、クォルファが条件反射のように立ち上がった。見上げたその顔は蒼白で、シェドは思わずひきとめるように、クォルファの手を掴む。しかし、その手はばっと振り払われた。
まさか振り払われると思っていなかったシェドは、唖然と、クォルファを見上げた。クォルファの方も、信じられないというように目を丸くしていたが、やがてきゅっと唇を引き締めて、ダランのほうへと無言で歩いてく。
「………そうだ。選ぶものを間違えるなよ、クォルファ?」
破顔するその顔は、心底嬉しげだ。それに、クォルファに対する好意が透けて見えたような気がして、シェドは顔を歪めた。ダランが親しげに肩に腕を回しても、クォルファは何故か、なされるがままに歩いていく。
「………どうして………?」
シェドはぽつりとこぼれた自分の声に、動揺した。
どうして?自分とクォルファの間には、何も無い。ただ、シェドが恋泥棒だと叫んだことを、クォルファが勝手に告白だと受け止めた、ただそれだけの関係しかない。自分に言い聞かせるつもりが、改めてそのことを認識して、シェドは蒼白になる。
『いいのか、主』
厳かな声が響く。シェドは一瞬誰の声か分からず、きょろ、と周りを見渡した。すると、シェドの隣にふっとシルフィが姿を現す。丸くて大きな森色の瞳が、どこか憂いを孕んで、シェドを見つめていた。
「………」
シェドは、答えられずに俯いた。クォルファの手を握っていた手のひらを、膝の上できゅっと握りこむ。
『そんなに、認めたくないのか?』
その言葉に、シェドは鈍器で頭を殴られたような気がした。目の前が真っ暗になる。自分が目をそらしていたものを突きつけられて、愕然とした。
───認めたくない。その言葉がさすものは、唯一つ。シェドが今抱えている、クォルファへのこの感情の名前だけだ。
「分からない………」
曖昧な言葉で逃げようとしたシェドを見抜いたかのように、シルフィの視線が鋭くなるのが分かる。
『もう一度、聞く。いいのか、主?』
びく、と身体を震わせ、シェドは泣きそうになるのをこらえて、緩く首を横に振った。
「よく、ないよ………。でも、僕、ぶ、部外者だよ………」
「今」クォルファに何が起こっているのか、シェドは何も教えてもらっていない。なのに、ダランはそれを知っているようだった。親しげに肩を抱いていた姿が、目に焼きついてしまったように離れない。
『選んでもらったと感じたのは、主だけの錯覚か?』
「………え?」
見上げたシルフィは、クォルファが去った方向を見ながらぽつん、とまるで独り言のように呟く。
『傍に居た我すら、随分と、心を許されていた気がしたが』
シェドはハッとしたように目を見開いた。シェドのほうを向き直ったシルフィは、その瞳にシェドを映しこみながら続ける。
『言えない事は誰にでもあるが、心を許すことは、人にとっての最大限の譲歩ではないか?』
その言葉を聴いた瞬間に、シェドは立ち上がっていた。とっさのことにふらついた身体を、後ろからシルフィが風で支えてくれる。
「シルフィ、クォルファの後を………付いて行って、くれる?」
『尾行か?』
シルフィの言葉に、ぐっと詰まる。言葉にされると、今からしようとしていることがクォルファを裏切ることに繋がるような気がした。
………けれどシェドは同時に、クォルファの指輪に付いたひびを思い出していた。なんとなく、クォルファの秘密はそのことに関係するような気がしたのだ。
「プライベートなことで、あんまりこういうことはしたくないんだけど………でも、気になるんだ。先輩には申し訳ないけど、先輩の表情、つらそうだった。僕、年下だし、あんまり役には立てないかもしれないけど、先輩の身に何が起こるのかぐらいは、知りたいんだ」
黙ってじっとシェドの言葉を聞いていたシルフィは、一度こくりと頷いた。
『決意は、それでいい。だが、間違えれば、相手を傷つけることを、忘れるな』
シェドは顔を引き締めて、頷く。それからふと表情を崩して、苦笑を浮かべた。
「なんか、シルフィに人間のこと教えられると、変な感じする」
シェドの言葉に、シルフィは初めて、にやりと笑った気がした。そして続けられた言葉に、シェドは絶句した。
『我には人間の妻がいたからな』
シェドの身体の周りを、音を立てて風が渦を巻く。
シルフィの風に運んでもらっていたシェドは、早くも降参したくなっていた。
「シルフィ………もっと、ゆっくり、できないの………?」
シェドの顔は血の気を失って真っ青だ。それもそのはず、風はやはり風で、人を移動させるのには向いていないということだ。シェドの身体を取り巻く風はふらふらと頼りなく、音を小さくするため最小限に薄くしてあるため、向かい風にも簡単に揺らぐ。耳元では絶えず風が行き来する音が響き、くらくらと目が回った。
『ゆっくり、とは?落ちる気か、主』
前を行くシルフは何でもなさそうにシェドを振り返る。森色の瞳が、不思議そうに瞬きをした。
『妻は平気だったが。苦手な者も居るのだな』
苦手も何も、むしろこれを平気だといえる人種の方が少ないのだと大声で叫びたい。くらりと揺れた視界を閉じ、左手を額に当てた。
「ごめん、我慢する………。今、どこに向かってる?」
『この方角は………ファーン遺跡だな』
意外な名前に、シェドは閉じた視界を再び開いた。さっき閉じてからまだいくらも経っていないのに、気が付けば、シェドの眼下には砂に埋もれた廃墟が広がっていた。この廃墟が広がっているということは、目的地はシルフィの言ったとおり、廃墟の中央にあるファーン遺跡しかない。
「どうして、こんなところに?」
ファーン遺跡は随分と古くから調査されている有名な遺跡ではあるが、その全貌の余りの巨大さに、未だ解明されていない部分が多い。恐ろしいほどに精密な構造であるらしく、調査隊の中からは、何名かの行方不明者も出たほどだ。
この遺跡が有名なのは、何も大きさだけではない。この遺跡は、調べても調べ足りないというところにある。
一度通った道であるからと甘いことを考えると、作動しなかった罠が作動する。十分調べ終わったと次のところへ移動すると、前の場所の意外な場所から、隠し部屋が見つかったりする、そういう遺跡だ。
しかし、行方不明者が百を越えるに当たって、調査隊を除き、この遺跡への立ち入りは禁止されたはずだった。
『………遺跡に入ったぞ』
シルフィの言葉に、シェドはこれからどうしようかを考えて唸った。自分がここに入れば、まず間違いなく、出られなくなるだろう。けれど、クォルファたちは行ってしまった。
「僕も、入るよ」
ファーン遺跡の崩れかけた門の前にゆっくりと降ろしてもらうと、シェドはさっそくしゃがみこんだ。まだ地面がゆらゆらと揺れている気がして、そのまま地面に倒れこみそうになる。そうして頭を抱え込んでいたシェドは、ふと、今更のように気になったことを聞いて見た。
「ねぇ、僕、魔力ほとんど使い切ってたはずなのに、どうしてシルフィが呼べたの?」
シルフィが心なしか呆れたように目を細める。シェドがそっと顔をそらすと、ため息を付いて説明してくれた。
『………契約したときに我が奪った魔力は、この身に余る。契約は魔力の量だが、力は考慮されないのでな』
「えと、つまり、力が強いからその分、魔力が余ったってこと?」
『そうだ。余り例を見ないことではあるが、ないことはない』
そうなのか、とシェドは他人事のように納得した。疑問が解決されてすっきりしたところで、ようやく、立ち上がる。
「じゃあ、………行く、よ?」
『………?何故、疑問系なのだ?』
シェドはしばらく、シルフィのきょとんと丸くなった緑の目を見つめてから、こてん、と首をかしげた。
「一緒に、行ってくれる?」
まるで幼子のようなシェドの問いに、シルフィがくすりと笑った。
『当たり前だ、主』
シェドはほっとしたように笑い返して、砂に埋もれた遺跡へと足を踏み入れた。
遺跡の入り口は身長の低いシェドですら、少々屈まなければ入れないほど小さかった。門がシェドより少し大きいくらいだったので、きっと昔の人の身長は全体的に低かったのかもしれない。
洞窟のような遺跡の内部は、調査隊がつけたのであろう、魔火によってところどころ照らされており、それほど薄暗くは無かった。ただ、空気の動きの少ない狭い通路では、少しだけ息苦しかった。シェドが浅く呼吸していたのに気づいて、シルフィが少しずつ、外の空気を送り込んでくれる。とはいえ、近くに隙間はあるのだろう、時折、細く冷たい風が頬を撫でることもあった。
魔火が点々と続く道をひたすらに歩いていたシェドは、ふと、妙なことに気が付いた。
『………主、ここは、さっきも通ったはずだ』
同じことを考えていたのだろうシルフィに言われ、シェドは勘違いでなかったと青ざめた。
気が付いたのは、些細な点だ。シェドは、通路内にある砂を、シルフによって少しだけ脇によけてもらいながら進んでいた。というのも、通路に罠があることを用心してのことだったが、途中から、それをしなくてもある程度砂が避けられている事に気づいた。初めは調査隊の誰かが、同じことを考えてしたのだと思い込んでいたが───。
「一体、いつ?道は一本だったのに!」
あっさりと罠にはまってしまったらしいことを悟って、シェドは頭を抱えて呻いた。行って戻ったということは、戻ってもここへ戻ることになるのだろう。
「隠し扉とか、探さないと………」
僅かに恐怖を含んだ声で、それでもシェドはもがくように進み始めた。魔火があるということは、まだ、ここは調査隊の調査範囲であることは確かなのだ。
「頑張ろう」
震える指先をきゅっと握りこんで、シェドは恐る恐る歩き始める。小さな通路の些細な点も何一つ見逃すことのないようにと、一歩進むたびに指先で通路の縁をたどる。
「きっと、すぐに出られる。先輩も、見つかる」
自分に言い聞かせるように呟いて、シェドは歩き続ける。が、期待も空しく、気が付けばまた、シェドは同じ場所に再び立っていた。
もう、どのぐらい時間が経ったのだろう。
道を回った数も途中まで数えていたが、それも、十を越すと数えなくなったので、既に何度、同じ場所を回ったか分からない。
パニックになったらお仕舞いだと自分に必死に言い聞かせていたシェドも、どれだけ探しても出口が見つからないことに焦りは抑えられなくなっていく。
「どうして、出口が無いの………」
出口がなければ、先輩たちも探し出せない。自分は一体、どうしてここへ来たのだろう。暗い遺跡の中で、シェドの思考は次第に溝へとはまっていく。シルフィはその様子を、背後からただじっと見守っていた。
シェドの唯一の救いは、シルフィが一緒にいたことだろう。小さなその身体を抱え込むと、不思議と安心できた。シルフィは、嫌がらなかった。
限界が近くなるたびにシェドはシルフィを抱えて少しだけ眠るようになった。遺跡内が暗いから眠いのか、外はもう暗いからであるのかの判別は付かなかった。ただ、疲れきったシェドの頭を何度も撫でてくれる小さな手のひらが、少しだけくすぐったかった。
いつの間にか眠ってしまったシェドは、ふと、瞼を焼く光にうっすらと瞳を開けた。
空だ。明るい、朝の空が視界に広がっていた。
「出口………?」
ぽっかりと四角に切り取られた空に目を奪われていたシェドは、そこから覗き込んだ顔に目を見開いた。
「いたいた。やっぱり居やがったな、迷子」
呆れたようにこちらを覗きこんだのは、クォルファと一緒に居るはずの、ダランだった。
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