8.は薫風と微笑んだ


 シェドは一人、広場の中心に立っていた。一瞬しん、と静まり返った観客席が、ざわざわと騒ぎ出す。風で運ばれた微かな音に「ラースガイゼンの………」や「シルフを呼び出したあの………」などと聞こえてくる辺り、クォルファの父の流した噂は見事に広まっているらしい。
 審査員がシェドの名前と学年などをチェックして、頷きあう。そして、開始の合図が出された。
 シェドは微笑んだ。

 シェドを取り巻く薄緑の光が緩やかに円を描き、やがてその光から切り離されるようにひらり、ひらり、と遊びだす者がいる。
 一見、幻影蝶にも似たそれ。けれど、薄緑の光たちは自由気ままに飛び回り、一向に観客のところへと飛ぶ気配はない。
 しん、とした広場の中、どこからか軽やかな笑い声が響く。
 観客席の中でも、前列の方にいた客があっと声を上げた。ふわり、波から外れた一つの光が───いや、薄い羽と、淡い緑の衣装をまとう愛らしい妖精が一匹、気まぐれのように飛んでくる。
 指を伸ばす。けれど、気まぐれな妖精たちはその指先に微笑んで、するりとかわしてしまう。ひそやかな駆け引きを楽しむかのように妖精たちは自由を謳歌して、それぞれ決まった人のところへと飛んでいく。
 伸ばされた指先にキスをして、手に持っていた四葉をお守りのように手渡すと、妖精たちは微笑んで囁いた。

「………風妖精………」
 かろうじて上位魔術に分類される程度の術だ。光と風の合成術で、派手さはないが愛されている。ただ、評価としてはそこそこレベルではないかとザインが飛んできた風妖精に目を向けたところで、それらのもつ四葉が目に映った。
「………なるほど」
 四枚の葉のうち、一つだけ薄緑の光を宿した葉がある。ザインの肩に止まった風妖精が、囁いた。
『貴方には、知識の加護を。今日一日分の幸せです』
 ザインは肩の妖精を指で一撫でする。風妖精がくすくすと笑った。
 シェドの術は、ただの風妖精ではない。風妖精それぞれに意思と選択の魔力を、それぞれの持つ四葉に一時の運を寄せる巡りの術をかけたのだ。
 どの術も特に難しい術ではないが、これだけの数の風妖精それぞれに術を持たせるのは、容易ではない。場合によっては、幻影蝶すら凌ぐだろう。ザインは審査員へと目を向けた。
 手元のリストを見ながら評価を考えていたのだろう審査員が、ふっとしたように顔を上げる。
 そのすぐ側を、一匹の風妖精が通っていったのを、彼は唖然と見ていた。




 つ、と指先を伸ばせば、小さな花冠をつけた風妖精が悪戯気に笑ってその指の周りを飛ぶ。ふっと笑って、差し出した指先を仰向けると、艶やかな唇は囁いた。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
 風妖精はびっくりしたように指先の持ち主を見つめ、続いて頬を赤くしてその指先にちょこん、と手の平を乗せた。するり、と引き寄せられ、風妖精は照れたように俯き、可憐な声で囁き返す。
『貴方には、出会いの加護を。今日一日の幸せです』
 差し出された四葉は、この世で至高の色。まさしく、“金華”だった。この色の持ち主を思い出し、腰までの黒髪を揺らして微笑む。
 妖精は照れたように指先に口付けると、そのまま、左手の指輪にすうと溶けていった。
 それを見送って、くすくすと笑う。
「………適わないな」
 いつもの指輪ではなく、その手に持つ黄金の四葉───シェドの『証』へと口付けて、クォルファは広場を見た。
 終了の合図が出る。しん、としていた会場が、それを受けてわっと沸いた。さすがに疲れたのか、想い人は少々息を荒げ、頬を染めて小走りに出口へと向かってくる。それは必然的に、こちらへと向かってくるということだ。
 その左手に、光を受けて輝くものがある。
 一歩足を踏み出せば、“彼”は何かに気づいたかのように顔を上げた。
 視線が絡む。
 何かを言おうとした唇が、せりあがる想いにふさがれた。



「───── ッ、クォルファッ!!」



 久しぶりの体温が、全身を駆け巡っていく。シェドはクォルファの伸ばされた腕の中に飛び込み、その細い身体をぎゅっと抱きしめる。シェドの身長のせいか、シェドがクォルファを抱きしめているというより、シェドがクォルファに抱きついているといった感じだが、今だけは、そんなことはどうでもよかった。
 ただ、心地よい温もりと、久しぶりの髪を梳かれる感覚が嬉しい。とはいえ、すぐに恥ずかしくなってその手ごと、抱きしめなおしたが。
「………心配だった」
「私がそんなヘマをするわけないだろう?」
 余裕たっぷりのその声を恨めしく思ったものの、半月も会えなかった寂しさにすぐに押し流されてしまう。シェドは右手を伸ばしてその頬に添え、そっと顔を近づけて────、白い手に、阻まれた。
「な、に?」
 目を開けたシェドは、その先のクォルファの目が一瞬、意地悪げな光を湛えていたことには気づかなかった。ただ、口付けのお預けを食らって不満そうな顔をする。そんなシェドを見下ろして、クォルファは言う。
「シェド、私には、ずっと我慢していることがあったんだよ」
 どこか淋しげな様子で瞼を伏せたクォルファに、シェドは困惑したようにその顔を見た。
「我慢?」
「そうだ。シェドは、気づいてくれなかったが、」
 そこで言葉を区切ってしまう。シェドはショックを受けたように固まり、呆然としたようにクォルファを見上げた。
「僕が………何か、した?」
 不安げにクォルファを見上げる顔は、可憐、という形容詞がぴったりだった。勿論、その表情に胸中で狂喜乱舞しようと悶絶しようと、そんなことは毛先程も悟らせず、クォルファは物憂げな表情のまま、何も言わない。それが、徐々にシェドの不安を煽る。
「その………何を、我慢させてた?」
「いや、………気づいていないなら、仕方がないな」
 自分で言い出した話題をここで切ると、まるでこれから別れ話でもするような雰囲気が漂う。案の定、シェドは悲壮に満ちた表情を浮かべた。
「ごめん………その、何したか分からないけれど、思い当たることがない……」
 つらそうな表情で、そっと顔を伏せる。いつの間にか二人の手は離れ、空いた隙間を風が通っていく。
「言って、くれないのか?」
「え?」
 クォルファの台詞に顔を上げれば、そこにはいつもどおりのクォルファの表情。嫣然と微笑んだその顔は、今までの雰囲気の欠片など微塵も残っていない。すっと顎を持ち上げられ、端正な顔が近づけられる。
「帰ってきたら、真っ先に聞けると思ったんだが」
 きょとん、と目を丸くしたシェドは、次の瞬間、真っ赤になってその手を振り払った。脳裏を、別れた日の記憶が流れていく。

『愛してる、とは言ってくれないのか、シェド?』
 不満そうな顔をしていた黒髪の婚約者に、自分はなんと答えたのか。

『帰ってきたらね』

 自分の声が自分の頭の中に蘇って、シェドは羞恥の余り穴に埋まりたくなる。
 伸びてくるクォルファの指先を防衛のために捕まえてぎゅっと握ったつもりが、クォルファの指が器用に動いてシェドの指を絡め取ってしまう。そのまますいと端正な顔が赤く染まる耳元に寄せられた。
「………愛してる、シェド。ただいま」
 艶やかな美声を耳元で聞かされて、シェドにとってはたまったものではない。けれど、逃げようにも、シェドの手はクォルファに繋がれたまま。その手元を恨めしげに見て、シェドは首まで染め上げたまま、観念したようにぼそり、と呟いた。
「僕も、………愛してる。クォルファ。………おかえり、なさい」
 シェドはそのまま、恥ずかしさの余りクォルファに抱きついて赤くなった顔を埋める。クォルファがくすくすと笑い、その輝く金髪をするすると梳いた。
 背後から、今までで一番高い評価が下されているのが聞こえる。


 嵐は愛しい人の香りを運んで、祭の中を吹き抜けていった。





 -完-


   
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