2.夜は秘密に影を包み
朝でも薄暗い夜の森は、夜になると完全にその姿を闇へと溶け込ませるが、それでも、かろうじて月の光の差し込む場所があった。
淡い月の光を跳ね返し、煌く金髪を見て、クォルファは口元を緩めた。
「………クォルファ」
かさり、と足元の落ち葉が音を立てたのに気づいて、シェドが振り返る。その顔は、薄暗い闇の中にあっても不機嫌だと分かる。
「ごめん、遅れたね」
緩い丘になっているところへ座っているシェドの隣に腰掛け、その身体を引き寄せようとすると、軽い抵抗にあった。
「………女扱いは、嫌だ」
ぐい、と、伸ばした右手を逆につかまれて、身体を引き寄せられる。クォルファよりも背が低いシェドに、クォルファの身体は綺麗に収まらなかったけれど、シェドは満足したようだった。
「ジクスに、散々女扱いされて最悪だった」
クォルファの首筋に顔を埋めて、拗ねたようにシェドは囁く。けれど、そんな言葉が、クォルファには嬉しくてたまらない。
「我慢、してくれたんだ」
正直、このことが相手を傷つけるであろうことは分かっていた。どれだけシェドがその顔を嫌がっているのか、クォルファは多分、知っている。それでも、今回は我侭を通させてもらった。それを、シェドは理解してくれたのだ。
「………クォルファが、誰かに取られないように」
「ありがとう、………シェド」
クォルファは、自分よりも小柄なその肩に、顔をうずめた。
王宮魔術師の中には、女性が少ない。
もともと、王宮は男社会だ。男性が優位に立ち、女性はその補佐だと考えるものが多数を占める。さらに言えば、クォルファはラースガイゼン家の者で、その上、その容姿は学園内で『王子』と例えられる程には整っていた。
だから、その社会にクォルファが溶け込むには、性別を偽らなければならなかった。
王宮内は、決して外側から見えるほど綺麗ではない。特に、下っ端になればなるほど、その闇は深い。足の引っ張り合いは常のこと、引きずれるものは何をしてでも引きずり落とす。クォルファが女性のままで入るには、あまりにも危険な場所なのだ。
シェドからしてみれば、そこまでして欲しいとは思えない。けれど、それが、クォルファとの婚約の条件だったのだ。
『クォルファと王宮魔術師になり、クォルファを守り通すこと』
魔術師の名門であるラースガイゼン家は、女というだけで、王宮魔術師になれないことを歯がゆく思っていたのだろう、とクォルファは言う。実際、ラースガイゼン家と言えども、女性で、王宮魔術師の仕事をするものは数えるほどだ。
クォルファは、この条件を呑んだ。だからシェドは、性別を偽ることを決心した。
クォルファは、一年をかけてシェドが入るまでに足場を固めなければならない。またシェドは、一年の間にクォルファを守れるようにならなければならない。
この一年は、勝負どころだった。
「一年の間に、絶対クォルファより大きくなって見せる」
「一歳差だ。そう簡単に埋められては、私が困る」
身体が斜めにずれて、お互いの顔がちょうどいい高さになっているのをいいことに、クォルファはそのまま口付ける。シェドがむ、と口を尖らせたのがわかった。
「………ずるい、なんで僕よりも格好いいの」
シェドが半分以上本気で呟くのがわかって、クォルファは喉の奥で笑った。シェドがクォルファの首筋に顔を埋める。ふわふわの金髪が喉元に触れてくすぐったい。
しばらくそうしてじゃれあって、静かな夜の森のひんやりとした空気の中で、お互いの存在を感じていた。心地いい静かな時間を十分楽しんでから、クォルファはシェドの背に片腕を回して呟く。
「………もうすぐ、青嵐祭だな」
「魔術のお披露目会なんだよね。僕は今年から参加するんだけど、あれは何のためにするの?」
「基本的には、就職の宣伝かな。2ndが参加するのは、予行演習みたいなものだ。それと、来年との比較で一年の成長振りを見る」
勧誘する側にとっては、ちょうどいい偵察だろう、と付け足して、クォルファは上目遣いにシェドを見やる。その瞳は、どこかしら意地悪気に輝いていた。
「さて、シルフを呼び出した天才、シェド=ラクシェスは何をするのかと、期待が集まっている」
「………クォルファ、僕をいじめて楽しい?」
楽しい、と満足げに笑うクォルファに、シェドはため息を返す。
「クォルファのお父さんには、このせいで嫌われちゃった気がする」
「僻んでいるだけだ、気にするな。もともと、シルフはラースガイゼン家が呼び出すものだという傲慢な考えを持っているからそうなる」
その口調は、いい気味だ、とでも言いたげだ。シェドは苦笑して、また、ため息をついた。
「シルフを呼び出した、かぁ………広まってるの?」
クォルファがそう持ち出したということは、相当に広まっている可能性が高い。そう予測をつけたが、案の定、クォルファは首肯した。
「私とシェドの婚約を印象付けるためだろう。父が吹聴して回っているようだ」
げ、と呻いて、シェドはクォルファを抱きしめる腕に力を込めた。クォルファがくすり、と笑う。
「私にとってはいい宣伝だ。これで、誰も手出しはしない」
「………クォルファ、それ、僕の台詞」
言いたい言葉を片っ端からクォルファに持っていかれて、シェドはむくれた。クォルファといると、実際に自分が性別を偽っているとかそういうことは関係なく、自分が女にさせられているような気がする。要するに、クォルファが格好良すぎるのだ。
まだまだ、男になる壁は高そうだった。
「さて、名残惜しいが………今日は、ここまでのようだ」
さっぱりした口調とは裏腹に、クォルファの右手はシェドの左手に絡められる。それから、クォルファが身を起こし、立ち上がった。シェドは、その服についていた草葉を取ってから、自分も続いて立ち上がる。すると、クォルファがかがんで、シェドの服についているものをとってくれる。
ただそれだけの行動が、まるでお互いを支えあっているような気がして、シェドは無意識に頬を緩めた。そんなシェドの気配を感じ取ったのか、クォルファが微かに笑って、シェドの顔を覗き込んでくる。
「嬉しそうだ」
「………一年、頑張れそうな気がした」
クォルファの頬に唇を寄せると、クォルファがくすりと微笑む。
「頼りにしている」
先に歩き始めたクォルファに続いて歩き出したところで、シェドは少し小走りに、隣に並んだ。クォルファがつないだ手に力を込める。
「………明日からしばらく、会えなくなる」
並んで歩いていると、クォルファがぽつりと呟く。シェドは目を丸くしてクォルファの顔を見上げた。
「どこか、行くの?」
「王宮魔術師の職業体験、というのかな。そういうものがあるんだ」
半月は会えない、と淋しげに言われると、シェドはもう、何も反論できなくなる。
心の中で卑怯だ、と思いつつ、シェドは指先に神経を集中させた。何も見えない闇の中、緑の光が微かに光る。
「………気をつけて」
夜の森から出ると、さえぎられていた月の光がお互いの顔を照らし出す。クォルファはシェドの頬に口付ける。言葉はなくとも、これがしばらくの別れの始まりであることは感じていた。
シェドはクォルファの頬に口付けを返す。クォルファが微笑んで、シェドの四葉の指輪が光る左手を掲げた。
夜が、静かに二人の逢瀬を見守っていた。
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