1.風は始まりと吹き抜けて
魔法大国ロイアン。その首都の中心にあり、国家が誇る最大の魔術師育成機関であるレイド魔術学園、の中庭。
ある一人の少年が、右手に赤色の花束を持ち、頬を少し興奮に染めながら、一人の少女と向き合っていた。
「好きです、リザさん」
緊張に汗ばみながらも、右手に持った花束を両手で支えるようにして少女に差し出す。リザと呼ばれた少女はその花束に目をやった後、困ったように口元に手を当てた。
「あのぅ………、私、クォルファ様が好きなんです」
つかの間、少年の動きが固まった。その隙を突くように、申し訳なさそうに軽く一礼して、リザはさっと小走りに駆けていってしまう。
「あ、………」
呼び止めようと伸ばした腕はすぐ近くにあった花束を弾き飛ばしてしまい、少年の足元に花びらが散った。それはまるで、少年の恋を表しているようだった。
「………なんでかなぁ………」
あんまりな結末に、しょぼんと肩を落としたその少年───シェドは、気持ちのままにその場にしゃがみこむと、無残に散ってしまった花びらを一つ一つ丁寧に摘んで、着ているローブの前ポケットへと入れていく。花束に一つだけおまじないのように忍び込ませていた、自分の『証』───どんな魔術師であるかを象徴する紋様───である四葉までがそこにまぎれているのを見て、落ちた肩がさらに落ちた。ついでに涙腺も軽く緩んでしまい、シェドはぎゅうっと唇を引き締める。
しばらくの間一人でたそがれ、目元を袖でぐっと拭ってからよいしょ、と弾みをつけて立ち上がった。くよくよしても始まらない、と内心自分を励ますものの、けれど背中に背負った暗雲はすぐにはどこかへ行ってくれそうにもない。
手元に残った綺麗に包まれた花束をどうしようかとぼんやりと考えながら、ひとまず、自分のことを心配してくれているだろう友人たちの元へ帰ろうと、シェドは色とりどりの花が咲く中庭を歩き出した。
少し歩いただけで、行きには緊張でまったく見えていなかった周囲にいちゃいちゃラブラブと甘い雰囲気を漂わせる───少なくとも、シェドの目にはそう映った───恋人たちが溢れているのが分かって、現在進行形で傷心中のシェドはじとりと恨みがましく彼らを見遣る。けれど、その感情はお門違いであると一応納得はしていたので、シェドはすぐに視線をそらして手の中の惨めな花束を見ながらそそくさと通り過ぎようとした。
しかし、東館と西館を繋ぐ、中庭からも出入りできる廊下に“その姿”を認めたとたん、シェドは今までの悲壮感もなんのその、眦を吊り上げて勢いよくだっと走り出した。端正な横顔、腰まである長い黒髪の男───リザが好きだといっていた、クォルファ=ラースガイゼンだ。
「ちょっと、待てっっ!! この、恋泥棒ッ!!!!」
大声で待てといっても、背中を向けていた相手は、呼ばれたのが自分だとは気づかなかったらしい。シェドに背中を向けて悠々と東館への廊下を歩いていく姿に妙な悔しさを感じ、シェドは走りながら手にしていた花束を思いっきり投げつけた。
けれど、投げつけたとは言っても所詮は花束。空気抵抗にあい、ふわりと弧を描いて飛んでいった花束に、シェドが期待するような威力は期待できなかった。が、軽くとはいえ衝撃を感じたのだろう、先を歩いていたクォルファがくるりと振り返る。振り向いた一瞬後に走ってくるシェドの姿を認め、それから足元に落ちている花束に気づいてそれを拾い上げた。彼の両脇を固めていた女二人が、美青年と花束という組み合わせにうっとりと見入る。
「さて、今のは私にか?」
花束に顔を寄せて、その唇がうっすらと弧を描く。期待を裏切らない耳触りのいい声。相手がいかにいい男であるかを目の前でまざまざと見せ付けられて、シェドはうっと言葉に詰まった。
「この花束は私への告白、と受け取ってもいいのかな?」
花束に合うような甘い響きが紡ぎ出されたせいか、両隣の女性たちはもはや見蕩れるというより茫然自失している。しかし、男であるシェドはどれだけ目の前の男が甘い囁きをこぼそうと、鳥肌が立つのみだ。………少しだけ、憧れたが。
「なっ!? ちっちち違うに決まってるっ!」
あんまりな解釈に、思わず声が出る。慌てて訂正したが、クォルファは意地悪げな色をその瞳に浮かべて、するりとシェドの近くへと寄ってくる。思わず、近寄られた分だけ後ろに下がると、クォルファは面白そうに少し離れたところで立ち止まった。
「でも君、私に向かって恋泥棒だって叫んだよね? 君の恋心を私が奪ってしまったからでは?」
確かにシェドはそう叫んだ。叫んだが、意味合いはまったく逆の方向で、だ。その言葉にハッと我に返れば、自分とクォルファを取り囲むようにして野次馬たちが嬉しそうにこちらを見ている。自分自身のおかれた状況にようやく気付いて、シェドの頬が火を噴いたように赤くなった。
「………っ、お前が! 僕の恋を奪っていったんだ!」
思わず逃げ出したくなる状況を堪え、シェドは真っ赤になりながらそう叫んだ───が、その一言に、まるで波が引くようにざわめきが静かになっていった。沈黙の中で、目の前のクォルファの笑顔がふいに思案気な顔に変わる。端正な口元が、少しだけ吊り上がる。
「───そうか、君、男なの?」
「そうだよ!」
何をいまさらな、と腰に手を当てて相手を見返す。途端、野次馬がどっと歓声を上げた。その声にぎょっとして周りを見たシェドだったが、不意に、クォルファの隣にいた女性二人が叫んだ言葉が耳に入った。
「クォルファ様の魅力は男にも通じるんですわ!」
「あぁでも、あんなに可愛らしい方ですもの、クォルファ様に恋心を抱いてもおかしくないですね!」
「クォルファ様の黒髪に、あの金色のふわふわの髪はとてもよくお似合いですわ………」
状況が飲み込めず、彼女たちの会話を不審気に聞いていたシェドは、不意に彼女たちの視線がこちらを向いたのでびくりとした。それから一拍おいて、少しだけ冷えた頭が彼女たちの会話を理解しようと動き始める。───なぜか、いやな予感がするのは気のせいだろうか。
「ふふ、こんな公衆の面前で告白されるなんてな………」
トドメの一言を目の前に立つクォルファが笑いながら言ったのを聞いて、シェドは固まった。告白、という単語に、先を期待した野次馬たちが再びしん、と静まり返る。
「返事はどうしようかな。熱烈な告白だったから、こちらも誠心誠意を込めて返事をしよう」
ごく、と野次馬の誰かが生唾を飲み込む音が響いた。視線という視線がクォルファに注がれたが、それを気にした風もなくなぜか甘い笑顔をシェドへと向けてくる。そこでようやく、シェドは叫び返す余裕ができた。
「違う! 違う、ご、ごご誤解だ! 僕はお前が好きなんじゃない、お前を好きなリ、───女の子が好きだったんだ!!!」
リザ、と名前を出してしまいそうになって、慌てて女の子と言い換える。クォルファが途端に面白くなさそうな表情になった。
「つまり、私を理由に振られたと?」
「そうだよ!」
顔を羞恥で真っ赤に染め、ぜーはーぜーはーと肩で大きく息をするシェドを見て本当だと悟ったのか、野次馬たちはしらけた表情をして何事もなかったかのように散っていった。クォルファと一緒にいた女性二人も面白くなさそうな表情を浮かべ、振り返ったクォルファに先に行くようにと軽く手を振られて去っていき、その場には二人だけが残った。
「言ってしまっていいのか分からないが………、君のそれ、私のせいではないと思う」
手の中の花束に目を向けながら、クォルファは面倒そうな表情を浮かべて言う。
「自分よりも可愛らしい男とは、付き合いたくないんだろうと私は思うよ」
シェドはその一言に打ちのめされた。
確かに、女に間違われることはよくあった。肩までのふわふわの金髪。丸くて大きな瞳。身長はちょうど女の子の平均程度の小さな身体。それに、魔術師が生まれたときから持つ、魔術師としての本質を表すという『証』。それが四葉のクローバーであるとなると、どこからどう見ても乙女チックな少女にしか見えないことも、知ってはいたのだ。
「そ、そんなことは………」
しかし、だからと言ってそう簡単に認められるわけがない。反撃しようとそんな言葉が口をついて出たが、続く言葉は出てきてくれなかった。
「ない、と言えるのか?」
クォルファが追い討ちを掛けるのに、シェドは認めざるを得なかった。
「うう、じゃあ、もしかして………」
「私が好きだからではなく、いいように断られたんだろう」
あっさりと言われた真実に、シェドはがっくりとひざをついた。今まで好きになった六人の女の子たちの姿が目に浮かんでは手を振って消えていく。
「………それなら、ごめん。八つ当たりだった」
恥ずかしくて真正面から顔が見れず、シェドはそっぽを向いたまま言った。視界の端に、クォルファの手に握られた花束が映る。一応他の人にあげようとしていたものだったから返してもらおうと思ったが、もうすでにその手に渡ってしまったものを返せ、と言うのはなんとなく気が引けた。それに、相手からしてみれば、この状況はいい迷惑だ。
「その花束、まだ綺麗だからあげる。時間とらせたし、お詫び。ごめん」
クォルファの脇をすり抜け、友人たちの待つ西館へと足を向ける。と、不意に後ろからぐっと腕を引っ張られ、シェドはのけぞって思わずぎゅっと目を閉じた。唇に、ふわりと熱が触れた気がした。
「あれは告白として、当方では受理しておこう」
目の前には嫣然とした笑みを浮かべるクォルファ。シェドは、突然のことに呆然とその艶やかな笑みを間近で見上げる。
「そうそう、誤解しないでもらいたい。私は───女だよ」
君以外、他には誰も知らないだろうけどね。
そう耳元で、まるで睦言を囁くかのように甘く囁いて、クォルファはすっと背筋を伸ばすと悠々と東館へと進んでいく。
シェドはしばらくその姿を見送って───現実を理解して、顔を真っ赤に染め上げた。
───自分は決して、惚れやすい性質ではなかったはずだ。
けれどそれなら、この想いはなんと呼ぶのだろう。
風は緩やかに、始まりと吹き抜けた。
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