Extra.時は万事を解決し --03
自室に戻り、クォルファを腕に抱きかかえたそのままでソファに座ると、クォルファがさっそくシェドの表情を覗き込んだ。
「不安そうだな」
「………そう?」
無表情なのに、どうして分かったのだろう? と内心で首を傾げたのが分かったのか、クォルファは喉の奥で笑った。
「いいな、この感じ。今、この世界でシェドの気持ちが分かるのは、私だけだ」
そう言って、シェドの頬を指先ですっと撫でる。
「人は、気持ちの読み取りにくい人間を避ける傾向にある。表情や声音は、それだけで他人を安心させる効果がある───その顔では、必要以上の愛想も振りまけない。つまり、私だけが大いに、シェドの中を独占できる」
言いながら、クォルファは投げ出したシェドの足をまたいで膝立ちになり、上からシェドを覗き込む体勢になると、そのまま、見上げるシェドの目尻に唇を落とした。
「………出会ったときから、僕の中をずっと独占してるじゃない、クォルファ」
すっと目を細め、クォルファの後頭部に指を挿しいれ、髪をすくと、クォルファがくすりと笑った。
「ふふ、何やら久しぶりに、真剣に口説かれている気分だな」
「僕はいつだって真剣だけど?」
気持ちを疑われたようで、内心むっとしたシェドだが、そんなシェドを見透かしたようにクォルファはシェドの耳元で囁いた。
「知っている───。その顔、この私が唯一、食べられてもいいと思う瞬間の顔だ」
シェドの心臓が勢いよく跳ねた。薬の効果か、顔に血が昇る感覚はないが───シェドは、この瞬間だけ、薬を浴びていたことを感謝した。無表情なまま、内心恨めしく思いながら、せめてもの格好付けにクォルファに囁き返す。
「なら、………このまま、僕の一部になってくれる?」
くすくす、とクォルファの肩が揺れる。爆弾発言をした割に、クォルファはいつも余裕だ。余裕でなくなるのは、シェドの方。仕返しをしたつもりが、相手をただ喜ばせる結果に終わったと分かり、悔しいような嬉しいような諦めのようなで、複雑な気持ちになる。
「シェドからそう言ってくれるなんて、嬉しいな。───幸いにも、時間はたっぷりあるしね」
顔をあげたクォルファのその顔を見て、シェドは理性が切れる音を自覚した。
時間はあるとは言うが、それはシェドの仕事をダランに代わってもらっただけで、クォルファの仕事がなくなったわけではない。昼にクォルファを見送ったシェドは少し寂しく思いつつも、せっかくの休暇なのだからと今までできなかったことをすることにした。
久しぶりの自室を綺麗に片付け、庭にあるシェド用の花壇の手入れをする。ついでに、土を掘り起こし、肥料を混ぜ込んで、買いこんでそのままにしてあった新種の種をまく。それから掃除、洗濯などの一通りの家事を終え、そろそろ日が傾いてきた、という頃になって、クォルファが帰ってきた。
「?………クォルファ、どうしたの?」
彼らの仕事がこんなに早く終わるということはまずない。交渉に出かければ日付を越えてから戻ってくることもあるし、そのまま別の場所に泊まり込んで、次の日の朝帰ってくることはあっても、こんな夕方に帰ってくるのは珍しい。だから、シェドの質問も必然的に疑問の口調となった。もしかすると、急に出張の仕事でも入ったのだろうかと考えていると、玄関からまっすぐにシェドに向かって歩いたクォルファはそのままシェドに抱きついた。すり、と頭を首筋に寄せられる。
「え、え、クォルファ?」
クォルファの甘える姿に、シェドは大いに戸惑いながら、すぐ近くにあるつややかな黒髪を撫でた。くす、と首筋に吐息が当たり、クォルファが笑ったのだとわかる。
「シェドがせっかくの休みだというのに、私だけ仕事というのも無粋な話だと思わないか? もちろん───休みを取るに決まっているだろう」
そう聞いて、シェドは内心で苦笑した。クォルファの“休み”といえば、ただ単に普通に休みを取ってきたのではあるまい。誰かに押し付けたか、生来の優秀さをフルに利用して最速で終わらせたか───あるいは、休みを取らせざるを得ない状況にもっていかせたのか。
どれにせよ犠牲者はいたにちがいなく、クォルファが責任追及の目に合うような下手な手を打つはずもないので、シェドは心の中で両手を合わせた。が、現実の両手はちゃっかりとクォルファの腰に回されている。
「いつまで、とってきたの?」
聞けば、シェドが治るまで、と返ってきた。その答えに、哀れな犠牲者はダランあたりだろうかと思い浮かぶが、シェドはそれをあえて思考から消去した。決して、ダランが哀れすぎたために想像できなくなったとか、そういうのではない。
「なら、時間がもったいないね」
言いながら、シェドはクォルファを抱き上げた。クォルファがくすくすと軽やかな笑みをこぼして、シェドの首に腕をまきつける。そのまま軽くキスを交わしたところで───無粋な、ノックの音が響いた。
「………」
「………」
思わず、目配せを交わしあった。両者ともに、このノックには答えてはならないとの判断が下されたが、シェドの中には少しだけためらいもあった。何故なら、ノックの音の正体に、すでに気づいていたからである。
「………そういえば、ダラン先輩のところって優秀な人が多いんだよね………」
何度目かのノックが響いたところで、シェドはため息をついてクォルファを下ろした。自身の両足で立ったクォルファは、降りてからずっと扉の方に顔を向けている。直接顔を見たわけではないが、向けられた背中からは冷気が漂っていたために、シェドは扉の向こうの人物に再び心の中で両手を合わせた。
「はい、どちらさま?」
相手をわかっていながらも扉を開ければ、そこには、シェドに薬をかけてしまった青年が必死な表情でシェドを見ていた。
「あの! 解毒薬、完成、しました………!」
「随分、早かったね。もう、出来上がったの?」
彼がこんなにも早く来るのは、シェドにとっても意外だった。かけられた段階では解毒薬はまだ作られてもいなかったのだ。ということは、まず解毒薬として必要な成分を調べ、材料の調達がいる。完成後も、特に人体に影響のある薬品は実験に実験を重ねるはずであるし、そのあとは医術長であるダランの検査・認定、それから任意の王宮魔術師一人からも検査、最後に国王からの承認を経てからでなければ、こうして薬を使用することはできないのである。
シェドの疑問に、青年は一瞬硬直した後、シェドの背後を見てからそっと目をそらし、ぼそぼそと答えた。
「僕も………薬がこんなに早くできあがったのは生まれて初めてです。特に、材料の調達は今回は難しいもののはずだったのに………」
そこから、青年は遠くを見るような目で続けた。
「研究所の人は、被害者がシェドさんだと分かった途端になぜかものごく親身になってくれたり、今日は、通りすがりのまったく見知らぬ人まで………貴重な薬草を、束で渡してくれたり、しました。実験は、本来は実験所が空くまで一週間は待たされるのですが、今回だけなぜか、隅に一つだけあけられていたりして」
シェドはちらり、と肩越しにクォルファを見て、吐息だけで笑った。
当の本人も、シェドのその視線の意味を知るまでもなく、自分のせいだと気づいたのだろう。実に苦々しく顔をゆがめている。クォルファのことをあまりよく知らない青年は、その表情に怯えたように身を引いた。
「そ、それから、医術長や国王まで、すぐに時間を空けてくださって………あの、“スィーレ”の方々のことを、心配されていたからだと思います!」
最後にとって付け加えたような理由を聞いて、ついにクォルファが顔面を手で覆ってため息をついた。それに内心笑みを向けてから、シェドは青年の手から薬を受け取る。どう使うのか、と聞けば、飲み薬にしたと返ってきた。
「ん、ちょっと、苦い………」
喉の奥を苦い液体がどろりと下っていく。苦さに顔をしかめれば、青年が驚いたようにシェドを見た。シェドもその表情を見返して、あ、と自分の口元に手を当てる。
「元に、戻ってしまったな」
諦めたようにクォルファが呟く。その声に、耐え切れずにシェドは笑みをこぼしたのだった。
後日、表情の大切さを力説し、表情にかかわる薬の研究をしだした青年がいたとかいなかったとか。
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