傷寒論

 長崎大学には、留学生制度というものがあり、毎年各国の留学生を受け入れています。店から少し離れたところにそのための宿泊施設である学生会館があるため、ときどき外国の方が訪れることがあります。この方は中国の方でした。

 上海中医学院に籍をおくというやや小柄の女子留学生。1週間ほど前に、風邪を引き、喘息発作がおこり、夜寝床に入ると咳と喘鳴と呼吸困難に悩まされ困っているといいます。

 私は陰虚体質で、紅参はだめだが、白参はいいとか、次から次へと、中医学的に体質を述べること、とどまるところを知りません。こちらは口を挟む余地もないのです。

 小1時間程たった頃、やっと話しの切れ目をみつけて、熱を尋ねてみますと、往来寒熱(熱と寒けが交互に起こる熱型)があります。「食欲は」と重ねて聞きますと、食欲は減退しており、顔色は青白く発汗傾向がみられます。そこで、「おあげする薬方は決まりましたが」といいますと、薬方の薬味と分量を書いてみてくれというのです。私が紙に書いて渡した薬方は
柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう)1/2量と麦門冬湯(ばくもんどうとう)1/2量でした。

 すると、それを見て彼女が言うには、これでは風邪(フウジャ)に対する配慮が足りない。風邪が因でこのようになったのだから、もっと風邪に対する薬味を加えて欲しいというのです。いろいろ説明してもなかなか納得してくれません。

 そこで、風邪は陽病では最初表にあるときは悪寒発熱を呈していても、裏に入ってしまうと熱となり、半表半裏では往来寒熱を呈し、貴女の場合、熱型が往来寒熱を呈していますので、既に柴胡・黄(おうごん)の入った薬方の治するところであることを漢方の聖典、『傷寒論』を示して説明し、やっと納得してもらったのですが、今度は、「分量が余りにも少ない、これでは効く筈がない」というのです。

 なるほど、中国ではこの5〜10倍の薬量をつかっていますし、中医学の薬方の中には、馬にでも食わせるのかと思うほど薬用量の多いものもあります。これまで、その薬量に慣れているので無理もありません。しかし、私はこれまでこれで十分効果を得ていますし、薬はその薬方の薬味の分量比が重要なのであって、なにも量だけの問題ではないとつっぱねました。それでもああでもない、こうでもないと、なかなか納得してくれません。相談を始めてもうかれこれ4時間です。私もしびれを切らし、私の薬方がどうしても納得できないのでしたら、よその薬局にいって調合して頂くか、、あなたが、御自分で薬方を組んで調合して貰って下さいといってしまいました。するとせっかく相談に寄ったのだから5日分だけでも頂いていきますといいます。そこで5日分をお渡しすると、まだ得心がいかないとみえ不満そうに帰っていきました。

 それから5日たって彼女が来ていうには、「お陰で、あの薬を飲んでその夜は発作が軽くて、今は全くおさまってしまいました」と。そして、よほど嬉しかったとみえ、「今後、どのような点に気をつければよいか教えて下さい」というのです。「あなたは十分漢方的健康法を御存知ですから、今までどうりで結構ですよ」と答えますと、「時々国に帰りますので私で役に立つことがあればいってください」といって、ニッコリして帰っていきました。

 それから、私の店の前を通るときは軽く頭を下げて通っていましたが、その彼女も今は母国に帰ったようでもうみかけません。てこずった相談者ほど心に残ります。
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 現代中医学はものすごい勢いで発展してきています。日本でも中医学を勉強する漢方家が大分増えてきました。なるほど、中医学は、非常にわかりやすいし、理論的ではあります。しかし、唐・宋・金・元・明・清とそれぞれの時代に多くの名医が現われ、それぞれの理論の上に、すぐれた薬方を創製していますが、その薬方の組み合わせの巧妙な点では『傷寒雑病論』の上に出ません。そのため、古人も『傷寒雑病論』を聖人の作であるとまで極言しているのです。ましてや、私のような凡人には、中医理論によって、『傷寒論』にあるような、精妙な薬方を組むことなどは到底無理ですし、私は『傷寒雑病論』を原点とする日本漢方(皇漢)を最高のものだと信じていますので、今後もこれでやっていこうと考えています。


「症例から見た漢方」は「漢方のものさし」「病気の本質」と読み合わせていただけば、よくご理解いただけます。