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びっちゅうまつやまじょう
備中松山城

登城・撮影:2004年3月

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所在地

岡山県高梁市内山下

築城年 仁治元年(1240年)
築城者 秋庭重信
別称 高梁城、小松山城
遺構 天守、二重櫓、三の平櫓、石垣、曲輪、堀
形式 山城
到達度 ★★☆☆☆ 備中高梁駅からは距離があるのでバスか車を使用
体力消耗度 ★★★☆☆ 駐車場からでも登ることになるが、整備されている
遺構保存度 ★★★★★ 現存天守や櫓、石垣・堀などの遺構が残る

 天守が現存する12城のうちの一つ。現存天守の城の中で山城はこの城だけです。この松山城と大和高取城美濃岩村城を合わせて日本三大山城と呼びます。高梁市の中でもひときわ高い山、臥牛山の小松山頂に築かれています。かなり山あいの町なので辿り着くのまでが大変でした。
 山腹にある駐車場から階段を登ります。横に車道もありましたがどうやら関係車両以外は通れないようです。通った山道は各所に下の写真のような立て札が立っていました。何ヶ所か休憩所も設けられています。しばらくすると石垣が見えてきます。歩いて登ってみると山城であることが実感できます。
 小振りな城ですが近年塗り替えられたため綺麗です。天守を始め、二重櫓三の平櫓が現存しているので近世山城を存分に楽しめます。石垣も写真のように高石垣が続いています。こんな山までに石垣を運んできた人達に驚いてしまいます。さて、天守の中に入ってみましょう。
 中に入ってみるとやはり現存の城、趣があります。なんと城内には囲炉裏があります。多くの城を見てきたつもりですが、城内にこれがあるのは初めてでした。最上階からは高梁市が見渡せます。こんなに楽しめた城は久々です。

 城のある臥牛山は山陰と山陽を結ぶ要衝の地にある。その山は北から大松山、天神の丸、小松山、前山の四峰からなっている。承久の乱の戦功で有漢郷の新地頭になった秋庭三郎重信は仁治元年(1240年)に大松山城に備中有漢を築城したのが始まり。後に備後三好一族の高橋宗康が小松山まで城を拡張した。天正3年(1575年)に松山合戦となった。この戦いで三村元親織田信長の誘いで毛利氏にそむき、落城した。元親は自害したが、この時の遺構が大松山、天神の丸に残されている。
 関ヶ原を経て何代か続いた後、寛永16年(1639年)水谷勝宗常陸下館から、備中川上、播磨美襄二郡のうち5万石をもって備中成羽に入り、寛永19年(1642年)に備中松山城主となった。現在の松山城は勝宗によって元和元年(1681年)から3年を費やして築かれたものである。
 小松山に天守や櫓、曲輪などか築かれたが、山上の城を居住や藩政の中心とするのは不便であった。そのため、御殿を始め、御茶屋、御台所などの藩主の居宅や、武具方、作事方、米蔵などは西南麓約1kmのところに御根小屋と称して営まれた。播磨赤穂城主浅野長矩が在番して大石良雄が城代をした後、安藤氏、板倉氏を経て明治維新となった。


まだ中間地点・・・しばし休むとするか

ようやく大手門跡が見えてきた

高く積まれた石垣

現地案内板(拡大

修復されて綺麗になった天守

天守の裏にある二重櫓

天守内(2階)の様子

天守から高梁の町が見渡せる
入城料 大人 300円
小中学生 150円
開城時間 9時〜16時30分
休城日 12月28日〜1月4日
交通 鉄道 JR伯備線備中高梁駅〜車10分(鞴(ふいご)峠)〜登山20分

JR伯備線備中高梁駅〜バス5分(松山城登山口)〜登山60分

自動車 岡山自動車道賀陽IC〜国道484号線〜国道180号線
駐車場 鞴峠駐車場や城見橋公園駐車場を利用(無料、30台程度)
参考リンク 備中たかはし「備中松山城」
高梁商工会議所
高梁市観光協会
高梁市役所
周辺案内

 備中松山城のある小松山から登山道を進んで大松山城へ体力に余裕があれば行ってもいいです。高梁市内は、紺野川筋美観地区を中心に郷土館商家資料館武家屋敷館頼久寺などがあります。また、備中高梁駅付近に歴史美術館松連寺があります。周辺の城は、山崎御殿跡楪城足守陣屋備中高松城岡山城庭瀬城撫川城などがあります。

 

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