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ひめじじょう
姫路城

登城・撮影:2005年1月、2005年7月

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所在地

兵庫県姫路市本町                                            

築城年 正平元年(1346年)
築城者 赤松貞範
別称 白鷺城
遺構

大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、天守丸渡櫓、天守丸台所、イの渡櫓、ロの渡櫓、ハの渡櫓、二の渡櫓、ホの櫓、への渡櫓、トの櫓、チの櫓、リの一渡櫓、リの二渡櫓、折廻り櫓、井郭櫓、帯郭櫓、太鼓櫓、二の櫓、ロの櫓、化粧櫓、カの渡櫓、ヌの櫓、ヨの渡櫓、ルの櫓、タの渡櫓、ヲの櫓、レの渡櫓、ワの櫓、カの櫓、カの櫓、菱の門、いの門、ろの門、はの門、にの門、への門、との一門、との二門、との四門、ちの門、りの門、ぬの門、水の一門、水の二門、備前門、石垣、堀、井戸

形式 平山城
到達度 ★★★★★ 新幹線姫路駅から徒歩圏内という好立地
体力消耗度 ★★☆☆☆ 現存の城で堅牢なつくりのため、一部に急な傾斜あり
遺構保存度 ★★★★★ 白亜の城を十二分に堪能できるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 天守が現存する12城のうちの一つにして、4城しかない国宝指定の天守世界文化遺産指定でもあります。幼い頃から何度も来ている姫路城。何度来ても新しい発見があるという広大な城域が今も残っているのです。それを一番体感できるのは、大天守最上階からでしょう。景色からひとまず目を離して、下を見ると複雑な城のつくりが分かると思います。
 歩兵第十連隊の駐屯地
になったので三の丸の東屋敷、向屋敷をはじめ櫓、門が取り壊されました。しかし、天守群などの現在残っている遺構の多くは取り壊しに莫大な費用がかかるとして取りやめられました。そして、明治12年(1879年)には名古屋城とともに国費でお城を保存することになったのでした。
 戦時中に真っ白の姫路城があまりにも目立ちすぎるとして、荒縄を墨で黒く染めて網のようにして上からかぶせたそうです。ごく最近になってからこの様なことをしていたのを知りました。
 姫路城には腹切丸という場所があります。帯廓櫓には罪人の処刑立会人が座り、その手前の井戸は首を洗う・・・。そんな恐ろしい想像が頭をよぎるのですが、実際は違ったようです。腹切丸は入口の門を閉めればそこに空間があるとはわかりにくいので城兵を潜伏させておいて襲うためではないかと以前読んだ本に書いてありました。
 上山里丸にある井戸は播州皿屋敷に登場する有名なお菊井戸です。あらすじを解説すると、安土桃山時代の永世年間の話となります。城主の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを計画していました。これに忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、さぐらせました。お菊は青山家に残り、姫路沖の家島に逃れた元信に情報を送っていましたが、町坪弾四郎に気づかれて結婚を迫られました。しかし、お菊は承諾しませんでした。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それから毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといわれています。
 西の丸には千姫ゆかりの化粧櫓が建っています。千姫は秀吉の子・秀頼に嫁ぎました。しかし、大坂夏の陣で大坂城は焼け落ち、秀頼は自害して果てました。そんな中を千姫は救出されました。江戸城に帰る途中、本多忠政の嫡男・忠刻と出会い、結婚しました。この後に、本多家は国替えとなり姫路城にやってくることになりました。なんと千姫のために10万石もの化粧代を持参しての入城だったのでこれで櫓が建てられました。しかし、長男が3歳で死に、夫の忠刻も31歳の若さで他界しました。江戸に帰った千姫は長男と忠刻の菩提を弔って静かに70年の生涯を閉じました。貝遊びをする千姫と長女の人形が化粧櫓に展示されています。

 

 姫路城の歴史は南北朝時代までさかのぼる。正平元年(1346年)、赤松則村の次男貞範が標高46mの姫山に城を築いたのが初まりである。赤松氏の後に入城した小寺氏の頃は姫山城と呼ばれていた。戦国時代に入り、天下統一を目指す織田信長は「中国方面軍司令官」として豊臣秀吉に播磨を与えた。秀吉は姫山の西にある鷺山も城の中に取り込んで姫路城の中の取り込んだのであった。
 今も威容を誇る姫路城は慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後、三河吉田から移ってきた池田輝政によって造られた。徳川家康の女婿である輝政は関ヶ原の合戦の功により西の押えとして播磨国52万石を与えられた。輝政は8年の歳月を費やして築城された。このときに基盤となったのが秀吉の姫路城だったのである。
 城主は池田氏三代以後、本多氏、松平氏、榊原氏と代わり、酒井氏の時に明治維新を迎えた。明治6年(1873年)の廃城令の後、兵部省の所轄となり、三の丸一帯の櫓や屋敷がとりこわされた。その後、歩兵第十連隊の駐屯地になっていたことが起因したのか、太平洋戦争の際には空襲に遭った。
 昭和31年(1956年)には、復元のための大修理が行われ、調査修理、城内整備が行われた。天守群は国宝、城内の現存建物は重要文化財、内曲輪一帯と中曲輪の一部が国の特別史跡に指定されている。平成5年(1993年)には、法隆寺とともに日本最初のユネスコ世界文化遺産に登録された。

姫路城写真集
入城料 大人 600円
小中学生 200円
共通入館券
1
共通入館 姫路城・好古園
大人 720円
小中学生 280円
共通入館券
2
共通入館 姫路城・県立歴史博物館市立美術館
大人 800円
高大学生 720円
小中学生 320円
開城時間 9〜5月 9時〜17時(入城は16時まで)
6〜8月 9時〜18時(入城は17時まで)
休城日 12月29日〜31日
交通 鉄道 山陽新幹線、JR山陽本線・播但線、姫新線、山陽電鉄本線姫路駅〜徒歩10分
自動車 山陽自動車道姫路東IC〜国道372号線〜国道2号線
中国自動車道福崎IC〜国道312号線〜国道2号線
駐車場 大手門駐車場、大手前公園地下駐車場を利用(有料、1000台程度)
参考リンク 姫路観光協会-ひめのみち
姫路城大図鑑(姫路市役所)
世界文化遺産姫路城
周辺案内

 姫路城を借景とした好古園は一見の価値あり。また、西国三十三ヶ寺27番札所書写山圓教寺に行ってみるのもいいでしょう。男山天満宮男山千姫天満宮は車では行きづらいですが、行ってみると別な角度から姫路城が見れます。すぐ近くのお城としては御着城妻鹿城英賀城などがあります。建物がある城は、距離はありますが、明石城赤穂城龍野城があります。

 

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