御待夜祭について

 

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平成16年度より御待夜祭は 9月第一土曜日曜 となりました

 

 宗吾様の例大祭「御待夜祭」は、木内惣五郎の命日である9月2日、3日を祭礼の日として連綿と続いて参りましたが、平成16年度から9月の第1土曜・日曜を「御待夜祭」といたしました。

 千葉県成田市宗吾にある宗吾霊堂は、正式には鳴鐘山東勝寺(めいしょうざんとうしょうじ) 別格本山宗吾霊堂(べっかくほんざんそうごれいどう)といいます。
縁起は、桓武天皇(かんむてんのう)の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺院です。

 歌舞伎でも有名な(平成10年10月に佐倉義民伝が2代目中村吉右衛門により国立劇場で上演、また平成14年12月に5代目中村勘九郎が歌舞伎座で上演)佐倉宗吾(本名 木内惣五郎)は、佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱直訴し、その罪により承応2年(1653年)8月3日公津ヶ原で磔刑に処せられました。
その遺骸を刑場跡に埋葬したのが現在境内にあるお墓です。

 宝暦2年(1752年)、百年忌に佐倉藩はその失政を悔い、堀田正亮(ほったまさすけ)が宗吾道閑居士(そうごどうかんこじ)の法号を諡号(しごう)し、以来宗吾様と呼ばれるようになりました。

 現在、境内には本堂、大本坊(客殿)、奥之院のほか、宗吾様の遺品や関係文章が展示されている霊宝殿、宗吾様の生涯を66体の等身大人形で再現した宗吾御一代記館があります。

 享和2年(1802年)義民宗吾の百五十年忌の供養が行われたとき、台方村が総代となり「笹踊り」興行したのが御待夜祭の始まりと言われ、9月3日(旧暦の8月3日)の命日の前の晩を逮夜と呼び、人々は宗吾霊堂に「おこもり」をして夜を明かしました。
戦前までは「御逮夜祭」と仏教用語でしたが、戦後は現在の「御待夜祭」と称しています。

 昭和27年の宗吾霊参百年祭に屋台を新造し、昭和33年まで町内を曳き廻していましたが、その後、祭礼時に輪踊りの“やぐら”として使用されていました。

 昭和49年、町内の有志の手により、屋台の曳き廻しが復活し、昭和59年には現在の屋台が新造されました。
町内の若者連である、私たち「宗和会」による屋台の曳き廻しは午後10時まで行われ、他町内の若者連の応援もあり、威勢の良い曳き廻しを見せることを心掛けています。
また、屋台の上で佐原囃子を奏でる宗吾藝座連も、祭りの雰囲気をより一層高めてくれます。
毎年、初日の夜(19時頃)に京成宗吾参道駅前まで屋台を降ろします。
坂を一気に駆け上がる姿は勇壮です。

 御待夜祭は屋台の曳き廻しの他に、境内いっぱいに(圧巻!これだけでも一見の価値あり)露天商が立ち並び、特設ステージではカラオケ大会が、裏山では剣道・弓道の大会も開かれます。

民主主義の先駆者である宗吾様の例大祭「御待夜祭」に是非おいでください。

 

【宗吾霊堂パンフレット及び成田市史民族編参照】